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私は、できるだけ“誰もいない”場所を選ぶ。
それは、人が嫌いだからでも、にぎやかな場所が苦手だからでもない。ただ、誰もいない場所に立つと、自分が少しずつ元に戻っていく感じがする。
海に行くときも同じだ。人の少ない時間、誰もいない朝の海を見に、少し遠い場所まで出かける。
人がいると、知らないうちに役割を持ってしまう
人が多い場所にいると、意識していなくても、どこかで自分の立ち位置を考えている。
話さなくていいか、気を遣うべきか、邪魔になっていないか。そうした小さな判断が、積み重なっていく。
それは悪いことではないけれど、ずっと続くと、少しずつ自分が外側に引っ張られていく。
誰もいないと、自分に戻れる
誰もいない場所では、役割が消える。
見られていない、比べられていない、応えなくていい。ただそこに立って、見て、呼吸する。それだけでいい。
その状態になると、頭の中のざわつきが、少しずつほどけていく。
海は、何も求めてこない
海は、こちらに何も求めてこない。
楽しめ、とも、癒されろ、とも言わない。ただ、そこにあって、波があって、音があるだけだ。
だから、こちらも何かを返す必要がない。その関係が、私にはとても楽だ。
リセットというより、元に戻る場所
海に行くと、「浄化される」という言葉が浮かぶことがある。
でも、何かを洗い流すというより、余計なものが静かに離れていく感じに近い。もともと持っていなかったはずのものが、そっと外れる。
海は、私を新しくするというより、元の状態に戻してくれる。
静けさが必要な理由
誰もいない場所を選ぶのは、静けさが必要だからだ。
音が少なく、視線が少なく、情報が少ない。その少なさが、心の中の整理を助けてくれる。
にぎやかな場所では得られない種類の安心が、そこにはある。
用宗の朝の海という選択
だから私は、朝の用宗へ行く。
少し遠くて、誰もいなくて、何も起きない。観光の要素がほとんどない場所。
そこに立つと、今日の自分が、どんな状態なのかが分かる。良いか悪いかではなく、ただ「今はこうだ」と確認できる。
誰もいないから、海とだけ向き合える
人がいないと、視線は自然と海に向かう。
波の動き、光の反射、空との境目。細かいことに気づくようになる。
それは集中というより、解放に近い。何かを考えなくても、感覚が自然に動き出す。
整ったあとに、戻っていく
海を見終わったあと、私は日常に戻っていく。
すべてが解決するわけではないし、悩みが消えるわけでもない。でも、余計な力が抜けている。
誰もいない場所で整えた自分を、そのまま連れて帰る。
私にとっての“誰もいない”という選択
誰もいない場所を選ぶことは、逃げではない。
自分を保つための、必要な選択だと思っている。静かにリセットし、また人のいる場所へ戻るための準備。
海は、私にとって、そのための場所だ。理由を説明しなくても、全てを一度、元に戻せるところとして。

