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夏の海は、少しだけ構えてしまう。
他の季節に見る海とは、同じ場所なのに、まるで別の存在のように感じる。明るくて、人が多くて、音が多い。その分、近づく前に、気持ちを整える時間が必要になる。
夏の海は、賑やかだ
夏になると、海の様子が変わる。
砂浜には人が増え、色の強いものが並ぶ。声が重なって、笑い声や呼びかけが、波の音より前に耳に入ってくる。
何もしていないつもりでも、その賑やかさに、少しだけ圧倒される。夏の海は、こちらに何かを求めてくるような気がする。
見に行くだけ、が難しい季節
他の季節なら、「見るだけ」でいられる。
立ち止まって、しばらく眺めて、帰る。それで十分だった。でも、夏の海では、それが少し難しい。
泳がないのか、入らないのか、なぜ来たのか。そんな問いが、言葉にならないまま、空気の中に漂っている気がする。
それでも、目を向ける場所はある
賑やかな中にも、静かな部分は残っている。
少し離れた端のほう、波打ち際から少し引いた場所。人の声が薄くなって、波の音が戻ってくるところ。
夏の海でも、視線を向ける先を選べば、いつもの海に近づく。
光が強すぎる午後
夏の光は、容赦がない。
空も海も白っぽくなって、輪郭が強調される。影が短くなり、逃げ場が少ない。
その光の中では、長く立っていられない。少し見て、十分だと思ったら、早めに引き返す。夏の海は、滞在時間が短い。
夕方になると、少し変わる
日が傾き始めると、夏の海は、少し落ち着く。
人の動きがゆっくりになって、音も和らぐ。昼間の勢いが薄れて、ようやく「見る海」に戻ってくる。
この時間帯なら、無理をしなくていい。夏の海と、やっと同じ距離に立てた気がする。

他の季節を思い出す
夏の海を見ていると、他の季節の海を思い出す。
曇った日の静けさや、風のある日の落ち着かなさ。人の少ない海の、余白の多さ。
比べているわけではないけれど、夏の海は、ほかの海を思い出させる力が強い。
嫌いではない、ただ違う
夏の海が嫌いなわけではない。
ただ、自分の居場所が、はっきり決まっている感じがしない。それは、悪いことではなく、季節が違うというだけのことだ。
すべての季節で、同じ距離感でいられる必要はないと思っている。
また、季節が変わったら
夏が終われば、海はまた違う表情になる。
人が減って、音が減って、風が戻ってくる。そのときの海を、また見に行くだけでいい。
夏の日に見る海も、私にとっては、そんな記憶のひとつだ。理由はないけれど、季節が違うだけで、海はちゃんと別の時間になる。

