※本記事にはプロモーションが含まれています。
人のいる場所には、まだ戻りたくないけれど、完全に一人になりたいわけでもない。
そんなとき、カメラを持ってフラワーセンターへ行く。
ここは、緑が多くて、空が広い。人はいるけれど、視線が交差しにくい。自分の世界に戻りながら、外ともつながっていられる場所だ。
カメラを持つと、役割が変わる
カメラを持って歩くと、気分が少し変わる。
誰かに話しかける必要も、振る舞いを考える必要もなくなる。見ることに集中していれば、それで十分だ。
写真を撮るためというより、見るためにカメラを持っている。その感覚が、この場所にはよく合っている。
緑の中では、人の気配が薄まる
園内に入ると、まず緑が目に入る。
木々の重なり、葉の濃淡、足元の影。人の姿よりも、植物の存在のほうが強く感じられる。
人がいても、主役ではない。ここでは、自然のほうが前に出てくる。
撮らなくても、持っているだけでいい
必ずシャッターを切るわけではない。
歩いているうちに、今日は撮らなくてもいいな、と思うこともある。それでも、カメラを持っていることで、視線の向きが変わる。
何かを探すように歩く時間が、心を静かにしてくれる。
季節が、ゆっくり見える場所
フラワーセンターでは、季節の移ろいがはっきり見える。
でも、それは派手な変化ではない。少しずつ色が変わり、光の入り方が変わる。その違いに、足を止める余裕がある。
急がなくていい時間が、ここにはある。
人の声が、遠くなる
園内を歩いていると、人の声が遠く感じられる瞬間がある。
完全に消えるわけではないけれど、緑に吸われて、輪郭がぼやける。その感じが、ちょうどいい。
誰かの会話を聞きながらでも、自分の内側に戻っていられる。
海や川とは、違う静けさ
海や川は、広さや流れで人を遠ざける。
ここは、包まれるような静けさだ。上も横も緑に囲まれて、視界がやわらかく閉じている。
外に向かって開く場所ではなく、内側に戻っていく場所だと感じる。
長くいなくても、十分
滞在時間は、その日によって違う。
短いときは、ほんの一周で帰ることもある。それでも、緑の中を歩いたという感覚が残る。
長居をしなくても、気持ちはちゃんと整っている。
人の世界に、少しずつ近づく
園を出るころには、気分が少しだけ外に向いている。
完全に整ったわけではないけれど、人のいる場所に戻る準備はできている。その中間の状態が、今の私には必要だ。
フラワーセンターは、私にとって、戻る前の緩衝地帯のような場所だ。
また、カメラを持って
次にいつ行くかは、決めていない。
人のいる場所に戻る前に、もう一度、緑の中を歩きたくなったら、またカメラを持って出かける。
ここは、誰かに説明しなくてもいい時間を、静かに用意してくれる場所だ。今の私は、その距離感が、とても気に入っている。

