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少し遠いけれど、朝の海を見るために用宗へ行く。
思い立ってすぐ行ける距離ではない。でも、その「少し遠い」という感覚が、この場所には合っている。近すぎないから、目的がぶれない。
朝の用宗は、まだ始まっていない
朝早い時間の用宗海岸は、とても静かだ。
観光地のような賑わいはなく、人の気配もほとんどない。足音と、波の音だけが、はっきり聞こえる。
何かが起きる前の場所に立っているような気分になる。

誰もいない、という贅沢
誰もいない海を見ることは、思っている以上に贅沢だ。
視線を気にしなくていいし、立ち止まる理由もいらない。どこまで見ていても、何を考えていても、邪魔されない。
ここでは、海を見ることだけに集中できる。
少し遠いから、行く理由がはっきりする
用宗は、ついでに寄る場所ではない。
「朝の海を見たい」という気持ちがないと、わざわざ行こうとは思わない距離だ。その分、到着したときの感覚が、少し違う。
来てよかった、というより、「ちゃんと来た」という感じが残る。
朝の空気が、そのまま残っている
用宗の朝は、空気が軽い。
夜の名残と、これから始まる一日の間にある、どちらにも偏っていない時間。まだ言葉が多くない空気。
深呼吸をすると、体の中に余計なものが入ってこない感じがする。
長くいなくてもいい
用宗にいる時間は、長くなくていい。
しばらく立って、海を見て、風を感じて、それで十分だ。写真を撮らなくても、歩き回らなくてもいい。
「見た」という感覚が残れば、それで役割は終わる。
帰り道のほうが、静かになる
海を見たあとの帰り道は、不思議と静かだ。
頭の中が空っぽになるわけではないけれど、考えが重ならない。ひとつひとつが、ゆっくり並び直されている感じがする。
朝の用宗は、そのための場所なのかもしれない。
何も起きないから、また行きたくなる
用宗で、特別な出来事が起きたことはない。
誰かと出会ったわけでも、忘れられない景色を見たわけでもない。ただ、朝の海を見ただけ。
それでも、また行きたくなる。何も起きないことが、ちゃんと記憶に残っている。
私にとっての朝の海
海は、どこにでもある。
でも、どの海でもいいわけではない。朝の用宗海岸は、私にとって「余計なものを持たずにいられる海」だ。
少し遠いけれど、誰もいない朝の海を見るために、また用宗へ行く。その理由は、うまく言葉にできないけれど、それで十分だと思っている。

