江の島を離れたあとに、残るもの

何気ない毎日が好き

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江の島を離れたあと、少しだけ胸の奥が静かになる。

帰り道に何かが変わるわけでも、特別な感情が湧き上がるわけでもない。ただ、いつもより言葉が少なくなって、景色をぼんやり眺める時間が増える。

江の島は、私にとって、いくつもの時間が重なっている場所だ。

中学生の頃の、何でもない時間

最初に江の島へ行くようになったのは、中学生の頃だった。

友だちと連れ立って、特に目的もなく出かける。お金も時間も限られていて、できることは少なかったけれど、それでも十分に楽しかった。

どこへ行ったか、何を食べたかは、もうはっきり覚えていない。ただ、江の島へ行った、という記憶だけが、なぜか残っている。

大晦日のカウントダウン

大晦日の夜、江の島で年を越したこともある。

寒さの中で、知らない人たちと一緒に同じ時間を待つ。特別なことを話すわけでもなく、ただ、数字が変わる瞬間を共有する。

あのときの空気は、今でも思い出せる。にぎやかだけれど、どこか落ち着いていて、年が変わるという出来事を、素直に受け止められた夜だった。

イベントが終わったあとに向かう場所

何かのイベントが終わると、なぜか江の島へ行っていた。

ピアノの発表会のあと、何かをやり切ったあとの気持ちを持ったまま向かう。うれしさや緊張がまだ体に残っている状態で、海を見る。

江の島は、終わったことをそのまま置いておける場所だった。成功でも失敗でも、評価をつけなくていい。ただ、終わったという事実だけを、静かに受け止めてくれる。

思い出は、上書きされていく

江の島の思い出は、ひとつだけではない。

新しい出来事があるたびに、古い記憶の上に重なっていく。中学生の頃の江の島と、大人になってからの江の島は、同じ場所なのに、別の意味を持っている。

それでも、不思議と違和感はない。どの時間も、同じ場所に収まっている。

大切な人が住む街

今の私にとって、江の島は、大切な人が住む街でもある。

その事実が加わったことで、この場所は、さらに複雑になった。懐かしさと、現在の気持ちが、同時に存在している。

会いに来る場所であり、帰る場所であり、思い出す場所でもある。その全部が、江の島には共存している。

離れるからこそ、分かる距離

江の島にいる間は、あまり考えない。

歩いて、見て、少し寄り道をして、それで十分だと思っている。でも、離れたあとに、少しだけ感じるものがある。

ああ、ここには、いろいろな時間があったんだな、と。過去と現在が、きれいに混ざっている場所なんだな、と。

戻らなくても、失われない

頻繁に行かなくても、江の島との関係が切れることはない。

思い出は、訪れた回数ではなく、重なった時間でできている。行かない期間があっても、失われることはない。

だから、次に行くときも、特別な覚悟はいらない。ただ、行きたいと思ったときに行けばいい。

江の島は、そういう場所

江の島は、思い出の場所であり、今も続いている場所だ。

中学生の頃の私も、大人になった私も、同じように受け入れてくれる。何かを証明しなくても、何かを成し遂げなくてもいい。

離れたあとに、静かに残るものがある。それだけで、この場所が、私にとって大切だということは、十分に伝わってくる。

江の島は、そんなところだ。理由を並べなくても、好きだと思える場所として。

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